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GoogleがひそかにリリースしてるArts & Cultureがめちゃくちゃいい!

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しれっとgoogle先生は非常に素晴らしいアプリをリリースしていました。 「Arts&Culture」 国内外の美術館が協力して作られた作品を見れるアプリ(プロジェクト)です。 ストリートビューの技術で世界各地の美術館内も仮想体験できるようになっています。 ジャンルは幅広く、絵画はもちろん写真や舞台などの総合芸術の展示が手のひらで見れる。しかも無料で。 これってすごない?! なにがすごいって作品ごとにフルスクリーンで見られるんですが拡大機能がハンパない! 油彩の絵画なんかはその質感まで精細に見られます。   ゴッホなどの有名な作品も数多く展示されていて、美術の教科書の参考写真なんか比較にならないレベル。 なんで大手メディアはこんなに素晴らしいアプリを さらーっと紹介している程度 なんですかね。 こうゆうの芸術に触れる機会をより広めて関心を高めるべきだと思いますよ。 確かに海外作品のコンテキストなどは日本語に訳されてなないので改善の余地はまだまだあります。 それに美術館の企画展などで実際の作品を目の当たりにことに比べればもちろん見劣りしますしね。 それでも海外のアートに触れるきっかけとしてはこの上なく手軽で充分すぎるほどです。 キュレーターや美術コレクターでなければ日本では知ることのできない作家の作品を知ることもできるわけですから。 2016年1月現在でアプリはandroid版のみのようです。 これとは別でweb上で Art Project でも同じ内容が見られるので、PCを持っている方はぜひ大きな画面で見てみてください。

【書評】コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと

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来週の金曜ロードショーはジブリですね。 今回もバルスという名のサーバーテストが行われるんですかね、楽しみです。 さて時事ネタというわけではないですがジブリで思い出した本があったので紹介したいと思います。 コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書 458) この本はぼくが作品を創るための考え方にヒントくれた本です。 芸術写真と記録写真の線引き ぼくは以前、自分の撮っている写真が「作品」なのか「記録」なのか。 そのふたつの線引きで悩んでいました。 ぼくが撮りたかったのは芸術写真なのですが、街でスナップ写真を撮っていると作り上げた作品が 「ただの記録写真じゃないのか?」という疑念が浮かんできたのです。 写真を撮り初めるまで「芸術」に対しての勉強なんてこれっぽっちもしたこともなかった青二才で 情けないことに自分の中で「芸術とはなにか」の定義がなかったんです。 もちろんこのご時世なのでググるまでもなくウィキペディアを見ました。 ぼくなんかより遥かに賢い人が 芸術について丁寧に説明してくれてます から。 芸術のページと関連するページをかなり繰り返し読んだのを覚えています。 それでもしっくりくる答えが見つかりませんでした。 そんな時偶然、書店でこの本を見つけて何の気なしに手にとりました。 表紙には「クリエイティブとはなにか?情報量とはなにか?」の文字。 記録写真側の目線に近い考え方が得られるんじゃないか。 ぼくはそう考え即買いしました。 幸運にも想像以上に内容がすんなり入ってきた 著者はあのニコニコ動画でも有名な川上量生氏です。 彼は経営者であり技術者でもあります。 教養のないぼくですがプレハブ小屋みたいなホームページを作れる程度の知識はありました。 なので幸いにも論理的で数字的なものの見方をする川上氏の説明はとても理解しやすかった。 コンテンツの定義 この本では様々な人の足跡から「コンテンツ」の定義について言及されています。 アリストテレス 、手塚治虫そして宮﨑駿。 アリストテレスて。 当時のぼくまさか古代ギリシャの哲学者の名前が出てくるとは思いませんでしたよ。 そして以降、ぼくの興味を示す本の分野も大きく方向転換されることになることも。 内容自体はアニメを軸にコ...

5月2日何も考えずにただシャッターを切る

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現行の最新技術でどの程度撮れるのかを試してきました。 拙いスナップですので悪しからずご了承を。 いかでしょうか、それっぽい写真が撮れたんじゃないかと思います。 本当に何も考えず、ただ気の向くままにシャッターを切りました。 まったくの初心者でも着眼点によっては、それなりに撮れてしまいますね。 これから更にカメラの技術はどんどん発展していくでしょう。素人でもそれなりに撮れてしまう時代に、作家としてどのように作品を作っていくのかをより深く考えないとなぁと思います。 今回使用したカメラ Nikon1 J5

アート写真をはじめようと思ったきっかけになった1冊

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連日の雨で、ずぶ濡れ通勤のダイスケです。こんばんわ。 みなさんはアート写真といえば何を想像しますか? 僕は写真を初める前はなんかしゃれおつな写真しかイメージできず 特に具体的な写真家さんや作品などは一切知りませんでした。 そんな僕に写真を「作品」であることを強く印象付けた写真集を 少し紹介したいと思います。 この写真集は、あるブックカフェで教えてもらったのですが 小さなプリントが貼ってある表紙を見た瞬間、脳内を直接殴られるような 衝撃があったのを覚えています。 その写真家の名前は志賀理江子さん。 決して安くはない写真集だったのですが買わないのは僕の写真人生にとって 大きな損失になりかねないと強く思い、すぐ購入しました。 僕が購入したのは螺旋海岸という写真集です。 「螺旋海岸」 ※表紙画像に適切なものが無かったのでAmazonリンクを使用しています。 最初に見た時はどんな思考回路があればこんな作品が撮れるのか 本当に不思議でなりませんでした。 パッと見た印象は人間の暗さ、絶望をイメージさせるのにもかかわらず 同時に輝くような力強い魅力をもっています。 完全に矛盾しているようですが、両立されているように感じるのです。 そしていつ見てもその輝きは衰えることはありません。 ただインパクトが有るだけの写真なら2度見ようとは思わないのですが この写真集は何度も何度も見返したくなるのです。 その度にあらたな印象を受け、まるで自分に合わせてこの本も 成長しているのかと思わせるほどです。 この写真集は「表現は真に自由である」ことを教えてくれ、そして 大袈裟だと言われるかもしれませんが間違いなく僕の人生を大きく変えた1冊です。 余談ですが。 志賀さんの写真集はことごとくプレミアがつき、螺旋海岸より前に発行されている 「CANARY(カナリア)」は2015年4月現在、Amazonで定価をフル無視したなんと4万円を 超える価格で販売されています。   「CANARY」 ※表紙画像に適切なものが無かったのでAmazonリンクを使用しています。  なんかもういろいろすげえな、と。 「螺旋海岸」をみればそれも納得できるのですが。 写真に限らず芸...

【考察】自分の作品が視覚美術として成立させるためには【駄文】

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写真という媒体を使い表現する。 それが視覚美術足り得るのか。 これまでに僕なんかよりずっと知識も経験もある人達が議論をしてきたみたい。 「購入者が美術品として購入したのであれば、その写真は美術品である。」 って意見もあるようで。。。 しかし僕は今、表現者として自分の作品を視覚美術であることを断言することが今はまだできない。 「技術的に不十分なのではないか?」 「そもそも表現とはどういうことなのか」 いろんな事が頭の中を駆け巡り、ファインアートに対しての思いを迷わせます。 稚拙な文章でしか綴れないけど、自分の言葉で今のアートに対する考えを残しておこうと思いました。 ま、迷っている今だから出てくる言葉もあるでしょうし。 現状の僕はシンプルにコンセプトとテーマをもって撮り続けていけば それが例え拙い技術であったとしてもファインアートになると考えています。 ファインアートという概念は個人差があり、文字通り千差万別なのは明らか。 そこに定義付けすること自体がナンセンスであることも頭では理解している。 定義を作り、作った定義の中に収まれば「自分はアートをやっている」なんてくだらない安心感があるからこんなことを考えてしまうんだろう。 だから自分の作品が弱いと感じてしまう。 撮りたいものを好きなように撮ればいい。 より好きになれる1枚を追い続けるというシンプルな行動こそが 力強く、そして美しく見る人の心を揺さぶる「傑作」を生み出すのかもしれない。 初心者が調子にのって芸術かどうかの考察をしている時点で落第だってこと。嗚呼。 自分が撮りたいものを明確にして、もっと沢山撮ろう。 なんという自己完結。

スナップ写真を撮ること

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このエントリーはあくまで自分の気持ちのアーカイブなので その辺をご理解頂ける方のみ読み進めて下さい。 写真を撮り始めた頃はスナップがメインでよく街を撮っていた。 フルサイズ一眼を文字通り担いで夜な夜な街をがむしゃらに撮りまくっていた。 最近のスナップはもっぱらコンデジで撮っている。 「スナップ」するにはフルサイズ一眼はデカすぎる、うん。 僕にとってスナップ写真はどういうものかを 備忘録として少しまとめとく。 「春の陸舟」 通常の作品作りとは異なりスナップを撮るとき、僕はRAWで保存していない。 いわゆる「撮って出し」というやつ。 理由は簡単で、あとから補正の自由が効かないというプレッシャーを あえて自分に負わせたいから。 あとSNSでしか公開する気がないのでそんなに画質も必要ないというのもある。 程よい緊張の中、今の自分がどういうものに対してシャッターを切るのか。 それをアーカイブし、自分の価値観を明確にしていきたいと思っている。 「寵愛と無差別」 上の 寵愛と無差別 は「母なる」と称される海や大地の本質を写した一枚。 (実際写せているかはさて置き) そこに流れるのがゴミであろうと花びらであろうと等しくすべてを飲み込むのが実際だろう。 仮にこれが人間だったとしても、瓦礫だったとしても水は変わらずすべてを飲み込むのだ。 そこにある事象を人は自分の尺度で観察しているに過ぎない。 僕は水や風、大地は本質的には不変だと思っている。 不変に対して抱く人の情緒の虚しさをとらえたかった。 「滲み」 今はコンテンポラリーアートとしての作品を作るために 一枚一枚にできるだけ撮った理由を明確にしていくことは大事にしている。 「どうしてシャッターを切ったのか?」は常に問い続けて行きたいと思う。