【考察】子供にカメラを持たせる事の可能性について【戯言】

※注:僕個人の見解によるエントリーですその点ご理解の上、用法・容量を守って正しくお読み下さい。


テレビやら各メディアで「日本の教育は子供に考えることを教えない。」とか見たり聞いたことありませんか?

僕はそれに対して共感できるし事実、僕が学生だった頃も記憶に頼った教育を受けた…と思います、たぶん。授業中もしっかり寝て育ったのであんまり記憶にありませんが。

僕個人の意見としては考える事を教えない学校教育にすべての責任があるとは思いません。「自分で考える」とは、思考力や問題発見、解決する能力を指すことかなと解釈しています。年齢が若い、ゆとり世代といわれる人たちでも自分で考えられる人間は沢山います。

育った結果だけ見てダメだったと責任を学校教育になすりつけ、「教育」をおざなりにしていることが問題の本質だと思っています。ま、その辺の学校教育の課題については教育のプロたちがなんとかするんでしょう。

で、僕は「学校教育」に特段の期待をしているわけではないので、学校で教えないなら親が考えさせればいいじゃん、と思っています。しかも学校で教えてないってことは、前向きに捉えると、他の子供たちより抜きん出るチャンスともとれるわけで。

やっぱり親としては自分の子供には出来る限り幸多い人生を歩んで欲しいですからね。

子供にカメラを持たせてみることとは

ここでようやく本題です。なぜカメラを持たせるのかについて。

僕は子供の手に取らせるものを「消費型」と「投資型」に大別しています。
いきなりビジネス書みたいなワード使ってますが簡単にいうと自分で考えたり創作する自由度といったところでしょうか。

子供が実際手に取る物で例えてみると以下のようなイメージです。

自由度
 低→漫画・ゲームアプリ・キャラクター関連玩具
 中→小説・メールアプリ・積み木
 高→お絵かき帳・カメラアプリ・クレヨン
※ざっくりとしたものなので、「これのこれはちがくね?」的なこまけーことは置いといて下さい。

つまりは子供がてにとって想像したり創作したりする有余があればあるほど自由度が高いってことですね。

で、カメラの話ですが。
いろんな考えを膨らませながら描くなら、写真より絵画の方がいいと思います。でも絵は自由すぎて出来上がった作品に対しての解釈が親子間ですら理解しがたいものがあったりしますし、なにかとハードルが高いのかなと感じています。
写真は絵心がなくても誰でも撮れます。写っている被写体は実際に存在するものなので解釈の違いは絵画ほどではありません。

言いたいことがありすぎてうまくまとまりませんが。。。
写真特有の「光しか写せない」という縛りが発想の自由さを促進させるんだと思っています。

実際に友人のお子さんにカメラを持たせて好きに撮ってもらったんですよ。
「いろいろ考えながら好きなものを撮る。」これなかなかいいと思いました。

うちの子ももう少し大きくなったら一緒に写真やりたいです。

というわけでピッカピカの一年生が撮った写真をご覧頂いて今日は終わりにします。



俺の写真よりよくない?!ってなりました。
街中スナップとかになると肖像権の問題などがあるので、むやみやたらと知らない人を撮ることだけは注意しておけばまぁ問題ないかなーと。(自治体によって条例が異なるので注意)

ちなみに使ってもらったのは、安い中古のコンデジです。嗚呼。

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