【考察】写真におけるプリントとディスプレイ表示の違い【戯言】

今日Nikonさんとsigmaさんが手ブレ補正機能における特許侵害訴訟で和解したようですね。
日本における特許侵害訴訟の和解成立について(Nikon公式)

ここ数年出ているモデルはシグマのレンズの描写がかなり良いらしく純正には無い
魅力的なレンズも増えていたところなので、すでにシグマユーザーの方は胸を撫で下ろす思いなのではないでしょうか。
これでシグマレンズユーザーが無用なファームアップデートが無くなればいいですね。


さて、今回はプリント(アナログ)とディスプレイでの表示(デジタル)についてです。
わかりきっていることだからか意外と言及されてない部分がある気がしたんですよね。
それが何なのか考えていました。

僕が思うにそれは写真そのものの存在感です。

利便性の面で言えばデジタルに軍配が挙がるのは言うまでもありません。
電子書籍もかなり普及してきている現在、ポケットに入る写真の枚数は1万枚を軽く超えます。
クラウドという写真の紛失や損傷のリスクを回避できる便利なツールもありますし。

しかもその利便性とトレードオフになっている写真の存在感が軽視されている気がするのです。
「データがあればいつでもプリントできるじゃん。」なんて気もしますが、どれだけの人が実際にプリントしているんでしょうか。
僕の周りで写真を趣味としている人以外は定期的にプリントしたりしている人は一人もいませんでした。

あ、プリントした写真のもつ存在感を忘れないで欲しいと思ってるだけで別にプリントしないとダメじゃん とかじゃないです。

そんな風に考えるようになったのは、ある日立ち読みしていた写真集に掲載されていた1枚の写真がきっかけでした。anthonysuau氏の「悲しみにくれる未亡人」(公式)という写真です。この写真はおよそ30年前に撮影され、1984年のピューリッツァー賞の特集写真部門を受賞しています。

まぁ立ち読みでしかも買ってないんですけど。
というか立ち読みにも関わらず、「悲しみにくれる未亡人」を見た瞬間、目から汗がボロボロと流れてきまして。
買える状況じゃなったのもあります。はい。

この写真、実は写真集で見る前に一度ネット上で見たことがあったので既知の写真だったのですが写真集とはいえ、このプリントを見た瞬間の衝撃は今でも鮮明に覚えています。

立ち読みの人を泣かす威力ですよ。すごいと思いませんか?(僕が変なのかもしれません。)
これはアナログならではの実際に触れるという体験から来る感受性なのではないかと思っています。触れているつもりでもスマホなんかのデバイスでは実際に触っているのは写真ではなくタッチパネルなわけで。


結局何が言いたいのかってーと、便利なデジタルの世の中だからこそ自分が良いと思えるものだけでも「物」として持っておくべきなんじゃないかなーって。
それが写真じゃなくてもいいんです。
キャンバスに描かれた「絵」だっていいし、ノートに書かれた「詩」だっていい。

アナログなものは、デジタルと違って作るのにも保存するのにも手間がかかるんです。
でも、だからこそ人はその「物」に思い入れなんていう素晴らしい「愛情」をもてるんだと思います。



そんな作品がたった1枚でも作れたら作家冥利に尽きるのかな。
なんて、そんな戯言エントリーでした。

例の写真集です。

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